ピリ辛「総合」(4)
 研修というには大げさですが、勉強することを避けて通る先生は、「総合」を担当してもうまくいきません。
 小学校の先生は「総合」を担当する機会は多くなります。ところが、中高校ではやってみたいと思う先生、もしくは渋々担当することになった先生だけが関わる場合が多いと思います。チームを組んで「総合」を担当する中高校の先生は少数派だと思うのですがいかがでしょう。要は、学校の中で「総合」にすべての先生が関わっていないということです。
 担当した先生が「総合」に興味、関心、意欲を持って取り組むのであれば心配の種は極端に減ります。しかし、「うまくいかない」「おもしろくない」「何でこんな時間作ったんだ」「子どもがのってこない」「計画を作るだけで大変だ」「教科だけのほうが気楽だった」「担当からはずれたい」というぼやきの声が聞こえてきそうです。先生自身が研修することなく、「総合」に対して否定的になるということは、先生の仕事に対しても否定的であることを宣言しているようなものです。
 新任の先生は、在学中に「総合」に関する単位を取得して基本的なことは理解しています。大学によっては実践に直結するゼミを充実しているところもあります。当サイトを閲覧されてきた学生の方や大学の先生からの書き込みを読んでいますと、肯定的な感想を多くいただきます。
 一方、現職の先生はどうでしょうか。すべての先生が、研修会に参加している、研究会に参加して研修している、自主的に参考図書やWEBサイトで研修している、校内研究で実践研究をしている、といった実態に当てはまるわけではありません。
 新たな「総合」の単位を取得したのと同等のレベルを保つために全員研修の機会を設けて勉強するという方法はとられませんでした。十数年前の生活科のときも同様でした。従って、創設された「総合」の実践に積極的に取り組もうと考えた先生だけが、何らかの形で研修をしたことになります。受け身の研修もあれば、自発的な研修もあり、場合によっては頼ることなく自力で自己研鑽を積まれた先生もおられるでしょう。
 本来、研修は研究修養のことですから、自発的にするものです。受け身になってしまうのは、興味、関心、意欲が欠けているからです。しかし、他の業種であれば職務上必要な研修は、興味、関心、意欲の有無を問題にすることはまずあり得ません。いい加減な気持ちで勉強しないなら、即、職責を果たせず、勤務成績の低下を招きます。極端なことをいえば進退に関わることになります。
 先生は研修が法的に保障され、義務づけられています。にもかかわらず、抜け落ちてしまう笊になっている現実があります。子どもと同じです。勉強しない人は、やがてはついていけなくなるのです。