人材活用と地域連携
 学校に招く人材を中心に以前は考えました。ここでは、地域とつながることを前提に検討してみました。
 地域の人材を学校に招いて協力を仰ぐ場合と子どもたちが地域に出向いて人材に協力を仰ぐ場合、微妙に先生は客観的な立場で状況把握をしてほしいと思います。
 初めて学校に招かれた地域の人材は、子どもたちや先生方といくらかの面識があったとしても子どもたちに教えたいことが十分に伝わるだろうか、子どもの理解を超えた言葉はどのように説明しようか、などなど何らかの構えを用意して学校に来られるにちがいありません。つまり、緊張して望んでいるわけです。神楽を舞うことには自信があっても、子どもたちができるように指導するためには内容を洗練しなければなりません。そうです。先生方が授業を展開するときと同じ構えを実行しているわけです。
 逆に、子どもたちや先生方が地域に出向いて、地域の人材と交流や教えを請う場合は、出かける方が身構えるわけです。どんなふうに話を切り出そうか、どんなことを質問してみようか、期待したとおりの答えが返ってこなかったらどうしようか、などなどやっぱり緊張するわけです。ましてや、相手に対する先入観的な印象があったりすると心中定かではないことになります。
 人材活用をして地域と交流し、つながるためには面談が一番大切なことです。地域に出かけたり学校に招いたりすることで、双方にある構えを取り除き、学び合いができるようになることをめざします。プレゼントとか出し物とかは単にきっかけでしかありません。生身の人間から、さらにはその人自身でないと語れない人材に出会っていくことで学ぶ価値を見つけてほしいと思います。

 十数年前を思い出してしまいます。学校の中で本ばかり読んで情報集めをしたり、学校の中で研修会を重ねたりしても差別の現実は見えてきませんでした。地区に出向いて、自分の構えをふりほどきながら、一人の人間の生き様として語り合う中で差別の現実は見えてきました。いきなり見えてくるのではありません。自分も相手も構えを崩して信頼できるだろうという段になって初めてぽつりぽつりと聞こえてくるのです。自分自身のゆがんだ現実さえも見えてくるようになったのです。差別が一番よく見える地域の中に出向くことで、面と向かっては言わなかった人から本当の願いが語られてくるのでした。同和教育の実践が真摯に積み上げてきた成果は、総合的な学習で地域から学ぶ手法をすでに実践しています。
 学校の都合で人材を活用したり、地域の人々と楽しく活動したりすることを目的としていたら、長続きはしないでしょう。指導者、コーディネータがいなくなったら終わりなのです。地域に対する誇り、愛着を学び取り、地域のよさを受け止めて生活している人間の生き方を学び取ることができなければなりません。いいことずくめではありません。地域の方々が克服してきた課題も生き様なのです。