ピリ辛「総合」(2)
 教科の時間を減らして総合なんか作るから、基礎学力低下を心配しなくてはいけないのだという考えがあちこちで聞かれます。
 指導要領が最低基準に変わってから、教える内容が減らされ、割り当て時間も減ったことは事実として間違いないことです。しかし、時間が減ることや内容が減ったことによって学力が落ちたという因果関係は未だに根拠のない憶測にすぎません。
 「総合」が週3時間組み込まれただけで、全体の学習時間が減ったのではありません。確かに、土曜日も勉強していたころと比較して、全体の学習時間は1割の削減となりました。学校週5日制によって減った時間数に重なります。減る一方なら2割の削減ですから、数字のマジックに惑わされてはいけません。いわゆる主要教科の時間が減っても「総合」の中で学習内容が補われていくと考えてもいいと思うのです。
 そんなことよりも、先生の口癖「時間がない。」「多忙きわまりない。」「教材研究する時間など、勤務時間内にない。」このぼやきは本当にどこまで信憑性があるのだろうかと疑問を持ち続けています。
 先生に限らず、会話のうえでお愛想する習わしは他の業種でもよくあることです。「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんな。」というおきまり文句は、腹の内を証していません。ときとして「あきまへんわ。」という返答もありますが、本当にだめでしたら、呑気にそんなおしゃべりの相手をするまもなく夜逃げの準備をするはずです。
 先生もしかりではないでしょうか。「ゆとりがあって暇ですわ。」「たっぷり教材研究できましたよ。」なんて口が裂けても言いません。本当に時間がないのなら、割り当てられた教える内容が残ってしまいます。残すわけにはいかないから義理堅い先生は超特急で済ませた振りをするのではないでしょうか。本当に忙しいのだったら、遊ぶ暇も、寝る暇もあるいは家族とふれあう暇もないはずです。そんな、民間会社の常務取締役のような先生は存じ上げません。
 研究発表会前とか、大きな行事の前とかは一時的に睡眠を削ってまで一生懸命な先生はいますが、年がら年中寸暇を惜しむ先生はいません。それこそ、本当に寸暇を惜しむような仕事ぶりですと体をこわしてしまいます。実態が外部からつかめないことをいいことに根拠のない理由を掲げて納得を求めることはやめないといけません。
 きちんと指導をすれば、教科の学習でも「総合」でも子どもたちの充足感は必ず達成できます。教科担任でも学級担任でも一人の先生が子どもを一手に引き受けて指導という仕事をこなしています。その責任を果たしていけば、問題など起こるはずがありません。
 先生と子どもたちの間に一定の信頼関係ができていれば、指導内容を間引いても、「あの先生は手抜きした。」と公表されることもありません。一人で責任を持たされているからこそ、子どもたちの手応えをつかんで日夜努力を惜しまない先生は下手な言い訳はしないと思うのです。
 先生という仕事は大変な仕事であることをわきまえ、応分の報酬と身分の保障をされていると納得していれば、まず子どもたちのことを一番に考えるのが先生だと思います。言い訳や言い逃れをする前にやるべき指導をやり遂げていただきたいものです。