指導要領一部改正(3)
 第1章 第3 4は新たに付け加えられました。教育課程の実施状況調査の結果を踏まえ、対策としてとられたことです。今回の一部改正の主たるところです。

4 各学校においては、学校における全教育活動との関連の下に、目標及び内容、育てようとする資質や能力及び態度、学習活動、指導方法や指導体制、学習の評価の計画などを示す総合的な学習の時間の全体計画を作成するものとする。

 見事なだめ押しの一文が入ってしまいました。しかし、既にできています、いつでもできますという学校はちっとも困らないでしょう。そこで、困る学校はどんな動きをするか考えていきたいと思います。
「困る」というとらえ方はいくつかに分かれると思います。
 まず一番に「困る」のは、実践が伴わないので、どのような形のものを作っていくか雛形を示してほしいと考えている学校です。実践が場当たり的で形だけ時間を消化しているために、年間を見通して関連性がはっきりするような計画づくりを思い浮かべていませんか?やっていることを雛形に合わせて作っていくことは姑息な考えという以上に、見せかけの計画に過ぎません。
 雛形を求める学校はかなりの数に上るのではないかと予想します。100時間少々の年間配当時間で、子どもたちにどんなことを学ばせ、どんな力を育てようとしているのか大づかみの全体像が見えるかどうかは先生の全体構想力にかかっています。管理職がこの全体像を示しても、文科省が示しても何の役にも立たないでしょう。全体像を作るのは実践者である先生の役目なのです。小学校で100時間少々という教科は、かつての社会、理科、生活、体育などです。これらの教科でめざしていた目標や内容は文科省が練って公表し、法的に強制力を持たせてきました。総合的な学習の時間に限って、この部分を学校に任せたわけですから、実質的に決定権を行使して作ることができるのは、実践者たる担任の先生しかいません。管理職は計画の妥当性を吟味して、実践や修正を促すぐらいのことしかできません。
 結論は、雛形を求めないことです。全体像がはっきりした実践を提案して進めれば、自ずと計画も形あるものになるはずです。
 次に「困る」のは、何もしていない、他の時間に振り替えているという学校です。これは校種が中、高と進むにつれて結構あるのではないかと心配します。極端な場合、数年後に次の改訂学習指導要領が出されるころには、総合的な学習の時間は失敗だったと認めてなくなるだろうから、やるだけばからしいと批判しているかもしれません。
 創造力を働かせない先生は、時代の変化に取り残されますよと申し上げたいです。例えばの話ですが、行事の練習や準備に総合的な学習の時間を振り返る元気があるならば、行事の意味を再構築することで十分絶えうる実践になりますから、考え直していただきたいところです。
 結論は、時間のやりくりに終わらせず、中身の見直しをして全体像を構築するしかありません。総合的な学習の時間はやってませんというのは問題外です。入試に関係の薄い教科は力を入れていませんというのと同じですから、学力の意味をはきちがえていると私は思っています。
 最後に思い当たる「困る」学校は、実践は意図的、計画的に考えて、全体の構想を練りながら進めているが、簡単な計画しかないというところです。もしくは、一年が終わってみないと細かな計画は作れないと考えているところです。
 あえて、計画が先にありきというのはどこにも書いていません。計画を立ててから実践しなさいという示し方ではなく、全体計画を作成するものとするとなっています。概略のような計画を軌道修正しながら、肉付けをしていく方法も効果的であると私は思います。
 さて、あなたの学校は3年目に入る次年度、余裕を持ってスタートが切れますでしょうか?