指導要領一部改正(2)
 第1章 第3 3の中の途中の文言が変えられました。

 ・・・1及び2に示す趣旨及びねらいを踏まえ、総合的な学習の時間の目標及び内容を定め、・・・

そして、このことについて、6の(1)に配慮事項が付け加えられました。

 (1)目標及び内容に基づき、児童の学習状況に応じて教師が適切な指導を行うこと。

 短い文言だけに一面的な解釈で一人歩きしていきそうです。しかし、実践を積み重ねてきた先生にとっては、新たに用意するものは何もないと思います。
 最初に心配することは、「総合的な学習の目標及び内容を定め」と読み違えることです。「・・・の時間の目標及び内容を定め」とありますから、学年あるいは学級単位で1年間取り組んでいく目標と内容を定めることになります。
 こうなると、先に目標や内容を定めないといけないのかという質問が出そうですが、意味のない議論になります。関連性のある大きな枠組みの学習の構想を練って学習内容を創造していくわけですから、目標や内容は後から定められても問題ないのです。
 計画が単発的なつぎはぎでない限り、総時間数を見越して構想は描かれます。構想が固まるにつれて目標や内容を整理していけば事足ります。ゆっくり夏休み中に考えるという段取りが一番能率的でしょう。無謀な考えと批判されそうですが、極端な場合、年度末に目標や内容が整理されても何ら問題はありません。しっかりした構想があれば、形だけの目標や内容を定める労力は惜しいのです。
 
しかし、安易にルーズさを逃げ道にする先生に対しては、評価を年度末にまとめてすることはできないと申し上げたいと思います。到達度評価をしなければなりませんから、目標と評価は切り離せない関係にあります。めざすものが曖昧なままで進めると、的確な評価を下すことは到底できません。
 例えば、算数のかけ算の単元で、目標を確認していない先生が教科書に書いてあることをそのまま一方的に教えたとします。そして、単元終了後に市販テストで評価したとすれば、的確に評価したとは言えないのです。たくさんの学級でこんなことがまかり通っている事実があるのではないでしょうか。
 教科の授業をするときに目標と内容の理解は教材研究の基本です。それをおろそかにして、きめ細かな指導は期待できませんし、本当に子どもたちに力がついたかどうかを測ることはできません。担当学年の算数の目標と内容が理解できているということは、その学年の算数の学習内容の全体像がつかめていることを意味します。
 次に心配することは「児童の学習状況に応じて教師が適切な指導を行う」というところです。そんなこと教科の指導でも一生懸命やっていますと言う先生方が多いと思います。日々、一人ひとりの子どもたちを大切に指導されていると思います。
 しかし、客観的に評価される適切な指導になっているかどうかは、冷静に受け止めて欲しいところです。学ぶ子どもが必要とするところを援助しているかどうかです。ともすれば、教えたがり、説明したがり、手を出したがる先生が多いことも事実なのです。自力で一生懸命取り組んでいる子どもの表情と、何をどうしたらよいか困り果てている子どもの表情の違いを理解できなければなりません。試行しているのか、錯誤しているのか判断できなければなりません。その子が必要としていない関わりは、支援ではなく学習の邪魔です。その子が必要としているのに関わらないことは無視です。
 当たり前のことができる先生ならば、学級全体の子どもを的確に把握し、必要としている子どもが誰々なのか判断して実践されていることと思います。裏を返せば、当たり前のことができない先生がいるから、上のような文言が追加されるのです。文部科学省は現場を信頼仕切れないお節介をしていると思いますか?