指導要領一部改正(1)
 第1章 第3 2のねらいはこれまで(2)まででしたが、次のねらいが付け加えられました。

 (3) 各教科、道徳および特別活動で身につけた知識や技能等を相互に関連づけ、学習や生活において生かし、それらが総合的に働くようにすること。

 私としては、いまさらなぜ、こんなねらいを付け足さなくてはいけないのかという思いです。
 指導要領の短い文言をまじめに理解しない先生が多いのか、それとも言葉の意味を読みとろうとしない先生が多いのかは謎のままです。ただ、これまでの教科に関する目標や内容について、自分で読みこなすより、他人の解説を聞いて分かったようなふりをする先生が多かったことは事実です。教科書と教科書の指導書があれば、指導要領を読みとらなくとも授業らしいことができたわけです。
 何事も初心に返って読み直すことは意味があります。そもそも「総合的な学習」、「総合学習」という名前は、新たに設置された学習の名前ではありません。設置しなければならない時間の名称であるということを先生方は理解しておられるでしょうか。総合的な学習の名前は、「各学校において適切に定めるものとする。」とわざわざ書いているのですから、名前がついていないということは意図的な教育活動が展開されていないともとれます。そして、意図を考えることなく、適当につけた名前ならば、ないのと同じです。
 つぎに、「創意工夫を生かした教育活動を行うものとする。」というくだりについて、教育活動の意味を理解しておられるでしょうか。学習活動ではないのです。各学校が創意工夫をしていく教育活動と明示しています。
 教育課程編成の実務経験のある先生方は少なくとも教育活動の意味することは理解しておられるはずと思います。学校独自に教科や道徳、特別活動以外の教育活動を工夫してきたからです。学校裁量の時間や業間時間、朝の時間などをどのようなねらいで運用していくかを計画することを通して、教育活動の意味を考えてきたはずです。
 ここまで振り返ると、なぜ(3)が登場したのか、およそ見当がつくと思います。総合的な学習の時間には、各教科、道徳および特別活動の時間は含まれないのです。目標と内容が明示されている各教科、道徳および特別活動の学習活動をふまえていかないと、関連性が全くなかったり、重複したり、単に学習活動のおまけだったりするのです。各教科、道徳および特別活動で教えたことを土台にして、学びの場を創造すればいいことなのですが、各教科、道徳および特別活動でなかなか学びが展開されないことを危惧しての策ともとれます。

 2年経過しても進展が見られなかった学校は、まず、学年か学級単位で総合的な学習の時間のテーマを見直してほしいと思います。何をしようとしているのかが見えてくるテーマをあみださないと前に進みません。さらに、総合的な学習の時間の名前とテーマが一連のものとして説明できるように準備してほしいと思います。まず、先生が総合的に頭を働かせないと、池の真ん中に落ちた枯れ葉同然になってしまいます。「何をやってもよい」という解釈をはきちがえないために是非ともやってみましょう。