学びの素材案「労働」
 学びの素材として労働を取り上げるのは、いささかの迷いがあります。しかし、多くの子どもたちが労働の場から排除されたことによる影響は大きいと思うのです。働くことで、自分は必要とされている存在だと実感できる最良の場だからです。少なくとも労働によって教育権を剥奪するようなことがあってはいけませんし、マネーゲームになってもいけませんが、生活の中では避けて通れないことです。
 これまでのいきさつとして、神戸発の中学生の職場体験が反響をよんで各地で実施されるようになりました。単に職場に入って体験することが目的化してしまって、生徒の「学校では得られないよい経験をした。」という感想に満足しているという批判もあります。どんな職種であれ職場体験をすることによって、何を学ぶのかが明確であれば、体験に終わることはないでしょう。
 まず、働くのは対価を得るためなのか、人のために役に立とうとしているのか、自分の生活を満足させるためなのか、などの労働に対する労働者の価値観をつかむことがあります。
 例えば、労働は対価を得るためにあるという出会いならば、「やりたい仕事ではないが、生活のために仕方なくやっている。」という考えにどう向き合うかです。生きるための手段でしかないならば、満たされたときはどうなるでしょう。あるいは、働けども働けども満たされないときはどうなるでしょう。どんな仕事であっても、世の中のために役立つ大切な仕事ばかりですときれい事ですませるには、子どもたちの判断する体験が少なすぎます。
 そこで、かり出されたのが、無償の労働という考え方です。奉仕活動や手伝いです。生活科に登場する以前から手伝いを奨励してきたことはどなたもご存じでしょう。勤労や美徳の価値観だけのために無償の労働がもてはやされたのでは肝心の値打ちを見失ってしまいます。
 労働の対価の多寡によって仕事の値打ちが固定していく風評に耐えられるだけの考えが必要です。極端に考えれば「医者は儲かるんだって。では、みんな医者になることを夢見て猛勉強の末、みんな医者になったら、患者がいなくなって医者は儲からないですね。」てなことになります。こんなことはあり得ない話ですが、なぜ多様な仕事に分散しているのかを考えつつ、労働に対する誇りと夢を子どもたちにつかみ取らせたいわけです。
 生活科が終了した学年以降、手伝いや奉仕なども含めて労働体験はできるだけ広範囲にわたるよう意図していくことが可能なはずです。労働だけを前面に出すというより、体験や活動の中で関連づける手法を提案したいと思います。
 そうした下地は、中学校での職場体験につながります。さらに、高校では対価を得る労働体験ができます。しかし、それを阻む規制があることは改善の余地が大いにあるだろうと思います。いわゆる、アルバイト禁止、許可制という校則です。改善されれば、同年齢のすでに働いている子どもたちと同じように、例え短期であっても労働体験を積み重ねていくことができるでしょう。もちろんそんな校則がない学校もあるはずと予想します。

 生きていくためのテーマを組み立てる素材の一つとして労働は掲げられると思います。ただし、「あなたは勉強だけしていればいいの。」「勉強があなたの仕事です。」こんなことを平気で言う方はもいないと願っています。そして、先生は素朴な疑問の答えを用意していただきたいと思います。
 「どうして働かないといけないのですか?」
 「楽な仕事ってあるんですか?」
 「どうしてきつい仕事をいやがるんですか?」
 「ろくでもない仕事ってあるんですか?」
 「どうして好きでもない仕事をする人がいるんですか?」
 「たくさんお金があると幸せですか?」