学びの素材案「住」
 前回に引き続いて、今回は住をテーマに考えていきます。
 住のことに関わる素材は広範囲にわたります。家そのものの機能的な設計段階の考え方や環境との調和、デザインにいたるまで、様々な要素が絡んでいます。しかし、建物としての家のあり方を考えることは現実的ではありません。すでに居住している家での生活が続くわけですから、多様な生活空間に対応した問題をあぶり出すことになります。掃除、洗濯、トイレ、風呂、寝床、収納、整理整頓、ゴミ、段差、換気、冷暖房、安全性などの最も身近なところを探ることになります。
 家電製品が入り込んでいく大きな変化を生活の中で実際に体験している私ぐらいの世代では、生活の中で何がどのように変わったかを理解することは容易です。ところが、子どもたちはもとより40代前半までは、生まれたときから家電製品に取り囲まれて生活してきたわけですから、当たり前の道具がない場合を想定した体験をすることが必要になります。
 ご飯を炊くということを一つ取り上げても、極端な場合、米を炊飯器に入れて水加減だけ見れば、できあがってしまうわけです。米をとぐ、吸水させる、火を燃やす、火加減を見るという過程はいらなくなっています。ならば、そんな手間は、教えなくても体験しなくてもいいでしょうか?同じことが、洗濯でも考えられます。洗濯表示の確認だけして、洗剤を入れ、ボタンを押せば、洗濯後の脱水まですんでしまいます。ならば、石鹸を使って手洗いの方法は必要ないと考えますか?掃除も掃除機一台で終わってしまうようなくらしがふえています。はたきも、ほうきも、ちりとりも、はたまた雑巾までもがいらないわけです。
 これまで、宿泊体験は集団で寝食をともにする意義を前面に出すことが多かったと思います。しかし、そろそろ方向転換をして、生活の原体験に重きをおくようになると思います。便利さが整った生活を宿泊体験までして繰り返すより、もっと現実的に価値のある体験を仕組む取り組みは徐々に増えています。1泊2日より長いプログラムをすでに実施しているところがあるということです。

 住の中で、もう一つ大きな問題点があります。家電製品を使いこなすことで、余暇がふえたわりには、余暇が充実していないという点です。手伝いという家庭内労働が極端に減少した結果、その時間は何に費やされているのでしょうか?
 ゲーム、塾、習い事・・・すべてとは言いませんが、安易な余暇の過ごし方は、親世代から、子ども世代へと確実に伝わっているのを感じます。一人ひとりの子どもたちが余暇をいかに過ごすかを追求する課題は、実践がともなうものになります。商業ベースで提供される娯楽を生きるための価値観と照らし合わせて賢く選択していくことは、将来にわたって意味あるものになります。
 暇になったら何をしようかという思いは、堕落しかないと私は考えています。本当に自分がしたいと思うことがあれば、暇がなくともやってのけるものです。二宮尊徳の話はご存じでしょう。そこまでしなくともと思うか、寸暇を惜しんでそこまでする思いを大事にするか。余暇に対する考えは小さいときから自らの生き方に取り入れて欲しいところです。

 住で最後に考えつく問題は、商業ベースで提供される数々の商品群の妥当性です。食中毒騒ぎに便乗して、清潔志向を煽り、抗菌処理されたものがたくさん入り込みました。空気汚染を煽って、ハウスダスト、ダニなどを除去したり、イオン効果を付加したりしたものが、最近多くなりました。換気の問題を抜きにして、カビ退治を煽ったり、頑固な汚れも簡単に取れることを煽ったりする商品も増えました。洗剤の種類がこれほどまでに多くなったのはどうしてか、不思議だと思いませんか?
 最も身近な家庭生活の中身について、疑問を投げかけることが少なすぎます。便利だと思っていたことが、安易な選択であったことに気づく学びは、総合的な学習ならではのテーマだと思いますが、いかがでしょう。