学びの素材案「町づくり」
 市町村合併の話が現実味を帯びてくる中で、時の話題に終わらせない取り組みはないものかと思案してみました。学校現場に最も近いところでは、中高校生を住民投票に参加させたという報道がありました。しかし、自分たちが住んでいる町に関心を寄せて、夢をはぐくむためには、政治がらみの納得とは違う視点が欲しいところです。一足早く合併を完了して、名前だけが光っている町もあるわけですが、町づくりというのは住民の思いが反映するとっておきの場にしたいところです。
 財政については当然、歳入と歳出の責務を負う行政ですから、最優先なのかもしれませんが、住民にとっては、住みやすさ、ふるさとの誇り、本当の意味での自慢が最も身近な話題だと思うのです。こればかりは財政の豊かさだけで実現できません。
 例えば、ヨーロッパの小さな町並みの風景写真を見ると、思いを巡らすことがたくさんあります。景観を大事にした屋根や壁の色、飾り気のない控えめな看板しか見あたらない街角、夜になってもほのかな最低限の明かり、石畳の道路、すべて住民が合意の上で統制をとって落ち着いた佇まいを作り出しています。
 それに引き替え日本の町並みはどうでしょうか。野立て看板の数々、様式の異なる建造物の混在、これでもかというぐらい自己主張する商業看板、蛍光灯や水銀灯のまぶしいばかりの夜明かり、無造作な電柱の乱立、黒い舗装路の延長、などあまりにも我が社の都合、我が家の都合、行政の都合が先行していると思うのは私だけでしょうか。
 町づくりについては新たな視点を提案できる場であり、トータルデザインとしての創造力が生かせる場だと思うのです。そのことが、住みやすさ、落ち着きのある、自慢できる風景を作り出すと考えられます。そして、原点になる考え方は、集落としての「むら」であることを共通認識することです。一か所に集中しすぎると「むら」としての規模を超えてしまい、統制をとることが困難になってきます。一極集中の町づくりがまずい理由はここにあります。
 前置きが長くなりましたが、本題の素材とするための問題をまとめてみます。

・町の人口は多いほうが本当に住みやすいでしょうか。
・町にどうしても必要な施設は何でしょうか。
・町になくてもいい施設は何でしょうか。
・看板がたくさんある町は本当に住みやすいでしょうか。
・案内表示がたくさんある町は親切でしょうか。
・夜が明るい町は本当に住みやすいでしょうか。
・静かな町とにぎやかな町どっちがいいでしょうか。
・地震や火事、水害に強い町にするにはどうしたらいいでしょうか。
・安全に遊べる町にするにはどうしたらいいでしょうか。
・自転車道は必要でしょうか。
・隣の町と行き来しやすい道路はあるでしょうか。
・高齢者にとって住みやすいでしょうか。

 現実の町をしっかり見つめて欲しいのです。人口2000人の町でも、10000人の町でも住んでいる人々はそれぞれの思いで住みやすいと思っているから成り立っています。人口の多寡で不利益が大きいと思えば、不利益の大きな町の住人が減っていってもおかしくないはずです。そこに住む人は、住み慣れることでなぜ安らぎを感じているのかを学んでいかなければ、町づくりはできないでしょう。
 新聞報道を読んでいると、小さなむらが合併をしないで、今日の厳しい財政事情の中、いかに維持するか様々な発想が紹介されています。財政的な損得を住民がみんな考えているかどうかは定かではありません。明治期の廃藩置県、戦後の町村合併の歴史を見るまでもなく集落としての村、当時の支配領域としての国、その国と国を結ぶ街道は脈々と今も生きながらえているわけです。国と国、村と村を隔てるものは山と川と海だけのようです。