学びの素材案「音楽」
 音楽にかかわる素材は、これまでに取り上げませんでした。私自身が音楽に対して興味関心が薄いからというよりも、実践経験が少ないのです。音楽は言語や絵画と同様に表現手段の一つとして存在感のある方法です。ただ、音だけに頼ったり、言語と音が複合することに頼ったりして、独特の世界に浸ってしまう分野という先入観があることは確かです。裏を返せば、主役にはなれない文化と受け止めています。
 音楽の種類分けをする意味はあまりありませんが、身の回りに聞こえてくる音楽はかなりの多様性を持っています。純粋に楽器だけで演奏される音楽、楽器と歌が混じって演奏される音楽、歌だけで演奏される音楽、映画や劇の雰囲気を作るために演奏される音楽等々、音楽が主役になったり端役なったりしています。それだけに、生活の中で切り離せない文化の一つとして素材となるものはどこにあるのか考えてみました。
 音楽科の教材は、唱歌と西洋音楽の模倣が中心でした。しかし、指導要領の改訂ごとに邦楽、和楽器の取り扱いが増えてきました。和楽器=太鼓=祭りというだけでは単純すぎます。宗教と絡む部分もありますが、神楽は地域の伝承文化として受け継がれ、神楽の伝承を取り入れている学校も多いと思います。民謡は地域の産業と密接にかかわって伝承されているところがあります。歌舞伎、人形浄瑠璃なども地域性のある娯楽伝承文化になっています。
 地域の文化と先人の思いを学ぶ中で伝承文化としての和楽器、謡曲は存在しています。生産に対する祈願や労働の厳しさを癒す娯楽として接点を求めていくことで、伝承の意義は見いだせると思います。問題になるとすれば農水産業の形態が変わって、現実に密着していない場合が多いということです。つまり、昔はこんな風にしていたんだよという現実です。従って、地域に神楽や歌舞伎、民謡があるからという理由だけで取り入れるのではなく、どのような経緯で伝承されたかを聞き取る取り組みは欠かせないでしょう。
 もう一つの考え方として、音楽が表現手段であることを前提に、自分の思いを音楽に表そうという取り組みをする場合があります。残念ながら、多くの場合、先生が描いたシナリオと作品を模倣させるということが多くなってしまいます。小学校段階では、まだまだ音楽を素材に想像していくことは高度すぎるために先生の思い入れが中心となってしまいます。
 音楽や美術の分野において、模倣は大切な学びであるという考えがあります。子どもたちが感性にもとづき、音、リズム、色、形、言葉を選んで思いを表現することは、だれにでもできることではありません。言葉はだれにでも使いこなせるという受け止めがあっても、音やリズム、色、形は汎用性があまりないと言えます。つまり、音楽や美術は専門的な技法を必要とする部分が大きいでしょう。
 小学校でいえば音楽、図工、体育は教科の学習としての存在感が本当にあるのだろうかという素朴な疑問があります。本当に興味のある子どもは、専門の指導者によって磨かれる方が合理的だという考え方が諸外国にはあります。
 極論すれば、総合的な学習の時間に音楽、図工、体育が横断的に関連していくと考えることは困難であるということになります。もし、総合的な学習で接点をとらえるとしたら、最初に取り上げたような手法しか考えつきません。学問の分野でいえば芸術としての接点ではなく、民俗学的な接点になると思います。地域の文化を掘り起こしていく過程で接点を見いだすことにつきてしまいます。