学びの素材案「ゴミ」
 公共焼却炉のダイオキシン騒ぎ以後、ゴミ事情が大きく変わってきました。家電4品目のリサイクル法も発効され、ゴミと向き合う素材は増えてきたのではないかと思います。ただし、課題となる視点は変わりません。
(1)ゴミを自分で処理するにはどうしたらよいか。
(2)ゴミをいかに分別したらよいか。
(3)ゴミを減らすために自分で何ができるか。
 まず、(2)にかかわることです。1か月ほどまえ家電4品目の分別処理工場を見学する機会がありました。リサイクル率は品目によって異なりますが、平均50%は超えているようです。一番の問題点は分別しきれないプラスチックがゴミになってしまうということです。異なる種類のプラスチックが組み合わさると再利用はできません。リサイクルを考えた最近のテレビの外側は、同一材料の一体成形になっていますから問題ないのですが、あまりにも古い型は分別が困難ということでした。テレビのブラウン管は、見ている部分のガラスと箱の中の部分のガラスが異なる材料のため、専用の機械で切り分けていました。回路の基盤は別の処理工場に回されるそうです。分別処理の技術的なものはともかく、一民間企業が消費者から処理費を受け取ったうえで、リサイクルできる原料を売却して、人件費や設備費、維持費、運送費を差し引いても採算がとれる間は、経営が維持できます。
 一般古紙や段ボール紙のように分別不十分で、再生原料がだぶついてしまうと焼却処理をせざるを得ないのが現状です。例えば、段ボール紙は粘着シール、ガムテープ、ステップルなどがついていれば、再生工場で分別の手間が入り込みます。印刷インクだけならば一工程ですんでしまいます。さすがにフィルムを貼り付けた防水加工の製品は再生の手間を避けて使われているのを見なくなりました。紙を使った商品を作る側、消費する側、再生する側の3者が連携をとるような法的規制があれば分別の意義が有効になります。しかし、紙を使った商品は多岐にわたり、規制をかけることで弱小企業がつぶれることも考えられますから、かなり難しいでしょう。
 ペットボトルの回収も分別によって軌道に乗ってきています。しかし、ラベルの剥がし忘れ、キャップの取り忘れがあると破砕後に分別しなければ、再生原料にならないことまで学習し切れていません。もちろん、燃えるゴミに入れてしまうのは、最悪の認識不足です。
 ゴミ発電プラントの発火事故が報道されていました。火災事故として見過ごすことなく、なぜ燃えたのかを調べていくうちに分別の問題が潜んでいるようです。紙やプラスチックだけのゴミならば、いくら圧縮してためこんでも問題ないでしょうが、腐敗菌の繁殖とガスの発生は低温発火を招くようです。分別をいい加減に考えていると期待の大きいプラントも危険なプラントになってしまいます。
 (1)については、主に生ゴミの処理にかかわることです。これまで実践されているものは、シマミミズを使ったもの、EM菌を使ったもの、自然界の土壌菌を使ったもの、加温発酵させるものなどがあります。いずれも通常のコンポストより短時間に処理できる方法として考案されています。
 これらの考えを単に机上のまとめとしてすませると意味がありません。場の提供を必ずして、実践を図らないと、頭では分かっているが、実行が伴わないということになります。家庭科の調理実習、理科の実験、掃除の時間、行事の後かたづけなど学校現場でできる機会を仕組むことです。飼育動物がいれば、調理生ゴミの処理は餌という形で行えます。こうして、学校での実践が軌道に乗れば、家庭でも行うことが期待できると思います。総合的な学習の時間だけで終わってはいけないテーマです。
 目に見えるゴミはとらえやすい対象ですが、目に見えないゴミも素材になります。ただ、小学校では、二酸化炭素だけでしょう。地球温暖化というグローバルな視点で二酸化炭素は話題を提供しています。単純に考えると動物や内燃機関、燃焼によって発生するゴミです。二酸化炭素を消費する植物やバクテリアのおかげで循環が成り立ってきたゴミですが、過剰に二酸化炭素のゴミが発生することで社会問題になっているわけです。
 二酸化窒素については化石燃料がもたらしています。自動車のエンジンや火力発電所、ボイラーなどが主な排出源です。フロンガスは特定フロンに切り替えられ、やがては他の冷媒に移されて全廃しますが、放出された影響を追跡するために、まだオゾンホールは観測されています。
 今回は、新たな情報を網羅するような形になりました。身近なところでゴミに対する意識はどうかなといつも偵察していますが、意識、認識ともに低調です。実践のできる学習が学校以外にも波及できる余地があると考えられます。ゴミは自分とは関係の薄いところで処理されているから、深刻さも、危機感もあまりないということです。