確かな学力と総合的な学習
 7月末の中教審、総則作業部会の報告では、「学力」と「総合的な学習の時間」の二元論に終始しているような気配が強いです。「二兎を追う者は一兎をも得ず」になりかねないような中身にがっかりさせられます。「総合的な学習の時間」を軸にして、学力向上をも包括的にとらえて改革しようという意気込みは弱くなってしまいました。ただ、学力の調査内容について変更を示唆している点は救われます。
 しかし、「総合的な学習の時間」に関する現状と課題では、次のように旧態依然の問題点が多く述べられています

△教員の負担感。
△学習のテーマ設定の難しさ。
△具体的な実施内容に関する教員の悩み。
△何らかの手引きが必要との指摘。
△具体的な「目標」や「内容」を明確にせずに活動を実施し、必要な力が児童生徒に身に付いたかの検証・評価が十分行われていない実態。
△教科との関連に十分配慮していない実態。
△教科の時間への転用なども指摘。
△児童生徒の主体性や興味・関心を重視するあまり、教員が児童生徒に対して必要かつ適切な指導を実施せず、教育的効果が十分上がっていない取り組みも指摘。
 このような実態は、大ざっぱにいえば、創造力が足りないということです。そして、先生個人の指導法が変わっていないことを示しています。
 一方、実践の成果が上がっているところでは、
○創意工夫して実践に取り組んでいる。
○創意工夫した授業計画の組み立ての機会の増加。
○児童生徒の思考力・判断力・表現力、学習意欲、学び方等の向上。
などが把握されています。これらは、当然のことです。
 「学力」と「総合的な学習の時間」を主な話題にして、指導要領に基づいた教育課程がまだまだ軌道に乗っていないと指摘されたとき、先生方はどちらを軸にして取り組むべきか、おおいに迷うところがあると思います。「総合的な学習の時間」を軸にして実践が積み上がっているならば、「確かな学力」批判に十分耐えられる成果を出せると思います。「確かな学力」だけに逃げてしまえば、乗り越えるハードルはかなり高いと私は思っています。「総合的な学習の時間」も「確かな学力」も平行して二元論で組み立てることは、教育実践の現場を混乱させるだけでしょう。
 学力向上を目指すとき、新たな発想は必要ないと考える先生が多いと思うのです。目新しいことをしなくても、これまでの実践をきっちりやって、スキルに励めば一定の成果は上がるはずです。つまり、「総合的な学習の時間」に波及することはほとんどないわけです。発想を変えれば波及は期待できるのですが、無理をしてそこまで実践しようという気にはならないと予想します。なぜなら、上述のように、教科の時間に振り替えたり、手引きを必要としたりする実態が、安易な方向に進むことを裏付けています。
 「総合的な学習の時間」を総合的に実践していけば、必ず「確かな学力」に行き着きます。実践ができている先生方にとっては、逆も成り立つことはよく分かっておられると思います。学校で実施している教育課程の意味が理解できているから納得できるわけです。
 さて、どうしたら創造力不足の先生、指導法が変革できない先生、教育課程が把握できない先生を動かすことができるのでしょうか。私は校内研修の機能を生かすことが最短だと思っています。校外での研修より、校内の研修を充実する方がはるかに効果が上がります。しかし、そのためには研修を推進するリーダーがいて、リーダーを中心に協力的な人間関係が構築されていなければなりません。先生が先生を育てていく昔ながらの研修方法を大切にすべきです。外からの刺激より、職員集団の刺激のほうがより実践に結びつきやすいところから、私はこの方法を提唱します。