基礎と発展と総合
 国が進めようとしている教育改革が揺らいでいることは以前にも書きましたが、軸足が定まらない不安を感じている先生方も増えたのではないかと思います。国の指針がこんなに揺らぐことは、これまでにありませんでした。しかし、揺らぐ状況は、これまで教育現場にありました。ということは、現場がきちんと不易の部分、つまり、教育哲学を理念とした揺るがないものを構築、実践していくことが求められていると思います。そのことに気づかなければ、世の中の動きを見誤り、時代の変化に対応すると称して、流行を追うことになるでしょう。
 教育の成果は、数十年を単位とした長い目で判断せざるを得ません。マスメディアが興味本位で取り上げる数値目標や、根拠を明確にしない数値の比較に、一喜一憂しているときではありません。こういうときにこそ、総合的に数十年先を見通した理念を持たなければなりません。好都合なこととして、規制緩和が進んでいるとき、多様な教育に期待する稚拙な意見に翻弄されることなく、説得力のある理念で実践ができるときです。
 軸足となるものは何でもいいのです。総合的な学習の時間、基礎学力の徹底、課題解決学習、横断的な学習、評価・・・など、今、学校現場で行われていることで不都合はありません。どんな研究をしていても、教育研究の全体像を一人一人の先生が自分のものとして持つようにしているかどうかです。
 総合的な学習の研究をしているとき、授業研究だけしていれば、研究の成果が上がるでしょうか。きちんと研究の意味が理解できている先生は、総合的に判断して、必要な取り組みを関連づけることをしていると思います。子どもたちの学習スタイルに合わせて、どんな学習規律が必要か。教科の学習でどんなことを重点に学習の定着を図るか。表現手段を多様に使いこなせるように国語、図工やパソコン活用とどう関連づけるか。集団で学習する場面を減らして、どんな学習場面で一人学びをさせるか。学習への集中力をつけるためにどんな練習をさせるか。これらのことに思いを巡らして、学級づくりをしていくなら、研究の成果は確実に上がります。これまでにたびたび申し上げた、研究実践のいいところだけをつまみ食いすることが許されないのは、ここに理由があります。
 すべての学習において、基礎的な部分と発展的な部分をとらえていく力は、先生にとって欠かせません。その力を身につけていく力として総合的な教育理念に基づいた判断力が要求されます。教科書の中身をいくら減らしても、これが○○教科の基礎的な部分だと一覧にして出したとしても、子どもの学力が向上することはあり得ません。ましてや、基礎的な学力が確実に身に付くはずがありません。教える中身の量や内容が学力に絡めて論議されること自体が間違っているのです。間違っているとあちこちで騒がないものですから、大手を振ってまかり通っているのが現実でしょう。
 先生は教えるプロとしての自信と誇りを持って欲しいのです。小学校の先生は特にすべての教科についての幅広い知識を学び取っていなければならないはずなのですが、中・高校の先生なみに免許教科だけに長けているのではないかと心配します。幅広い知識を持つためには大学での履修単位に限定された学問だけでは足りません。先生が先生と呼ばれるのにふさわしい部分は何かと問われたとき、見当違いをしている先生がいると思われます。先生が素人と明らかに違う部分は、さて、なんでしょう。子どもに人気がある。教え方が上手。○○についての専門家。・・・みな違います。教養の域を超えた幅広い総合的な知識の持ち主だと私は考えています。小学校の先生の指導力が優れている場合が多いのは、このような総合的な知識に基づいているからです。
 しかし、教養以下の知識しか身につけていない先生がいることは否定できませんから、子どもたちが進める総合的な学習に平行して、先生は総合的な教育理念を持つべく、総合的な知識を構築して欲しいと願っています。