留意点と支援
 指導案の本時の展開に登場する項目として、長年使われてきたのは「指導上の留意点」です。ところが10年前ぐらいから「教師の支援」という項目がしばしば見られるようになりました。先生が指導に際して、子どもたちにどんなことを留意して進めるのかを記述したものが「指導上の留意点」でした。留意する主体は先生です。「教師の支援」が登場するようになったのは、学習の主体が子どもであるという考えのもとで使われるようになったと記憶しています。新学力観に切り替えようと話題をさらったころのことです。学ぶのは子どもであり、学ぶ過程でつまずいたり、いきづまったりしてる子どもたちに助言を与えていこうというものでした。言葉だけが先行して、しばしば「支援が支援になっていない。」という意見が交わされることもありました。よくよく考え直してみれば、「教師の支援」も「指導上の留意点」同様、主体は先生です。先生がどんな支援をすれば、子どもたちに対して主体的な学びを保障できるのかを問いかけているわけです。
 ここまでくると「留意点」も「支援」も目的とする意味に大きな違いはありません。項目だけが変わって、一斉に指導を加えていく方法は変わっていないのです。本当は、子どもの学習が学びによって成り立つ展開を考えることの方が重要だということです。この部分は、総合的な学習を展開していくうえで欠かせない考え方ですから、総合的な学習の実践を先生の立場で評価していく大切な観点になります。指導を加えていく方法で、総合的な学習を進めると、子どもたちは自分の課題を持つ必要がなくなります。先生が描く到達点にたどり着くために、ひたすら調べ、まとめ、活動することになります。そして、先生が喜んで満足しそうな感想を書いておけば一丁上がりなのです。
 本題の「留意点」、「支援」については、子どもの学習を助けることであれば何でもいいわけです。様々な場面に対応できるような万全の助けであることが備わっていれば、問題ありません。ただそれを文章に表したとき、助けではなく、先生自身の願望とか、思いとか、覚え書きとかになっては困ります。「手だて」を明確にし、その「手だて」をどのような場面で、どのように使うかを示すことです。「手だて」がない「留意点」や「支援」はありません。このような考えにもとづけば、「・・・をとおして、・・・する。」あるいは、「・・・で、・・・する。」という文章の構造ができあがってしまいます。
 結論として「留意点」、「支援」のどちらを使うかという論争は、不毛であるということになります。それよりも、指導案の項目で柔軟に考えて欲しいのは、「学習活動」でいいのかどうかです。子どもの動きや思考を大ざっぱに「学習活動」とくくるより、もっと具体的に子どもが学ぶこと、先生から教えられること、課題を見つける場面、自力解決の場面、調べる場面、追求していく場面など、子どもの立場に立った動きや思考を入れていくことを提案します。そうすることによって、学習の主体が子どもたちである、という前提に立った授業が、展開しやすくなると思います。
 おまけになりますが、「予想される子どもの考え」というのは、あくまで「留意点」、「支援」のための予測でしかありません。こんなことはあらためて項目だてするようなことではなく、「留意点」、「支援」をきちんと考えていけば、当然出てくるものです。こんな項目を抜き出して作ることに時間を使うより、「手だて」や学びの場面を検討することに時間を費やして欲しいところです。