総合的な学習・発想の転換
 「総合的な学習をどうするか」というブームは去って、今の教育課題は、評価と基礎、基本が話題になっているとき。統制教育の中にあっても、子どもたちの本質はちっとも変わっていませんが、めまぐるしく問題がわき起こる中で対症療法的な施策が延々と続いているようです。生徒指導の分野で叫ばれていた対症療法から積極的な生徒指導をという方法がそっくり現状に当てはまりそうです。世論や批判をかわす目先だけの動きにうんざりしているのは私だけでしょうか。
 さて、積極的に総合的な学習を変えていくことを考えてみました。前例がないという発想ではありませんが、総合的な学習をまとめて宿泊研の形で計画する方法です。付属学校の一部では行われているところがありました。既存の宿泊研を拡大するのではなく、テーマに沿って3〜5日間ぐらいを何セットか用意する案です。経費、先生の負担が大きすぎるという不安材料はありますが、自立生活を促すこととセットで考えると経費や指導者の負担は軽減できます。あわせて保護者の協力や施設の確保ができれば実現の可能性は高いでしょう。授業日に設定しにくいと思えば、教育課程を工夫して、長期休業日に設定することも可能です。応援の先生を動かすにはこの方がらくに計画できるかもしれません。
 例えば、農業体験プログラムはこれまでつまみ食い的に取り組まれてきました。時間的制約を理由に丸ごとではなく、子どもたちにできることを補助的に体験させる発想です。米作りの中の田植えの一部だけ、稲刈りの一部だけを通過させて、すべてを通過させた気分にさせるものです。本当は、苗作りをしたり、田ごしらえをしたりして、米作りの一連の流れを体験することで、苦労や知恵を学ぶことができるはずです。こうした体験を仕組むには、合宿して自分たちの手で仕事の大半をこなすプログラムが最適です。田ごしらえと田植え、刈り取りと干木かけ、脱穀の3セットです。ただ、自分たちの手で完了するだけならば、合宿の必要性は出にくいかもしれません。しかし、失敗しないための学びの場を平行して進めようとすると、まとまった時間が望まれます。そこまでできないという先生の見通しの中には、機械化されていて子どもたちの手でできることが少ないという意見が出るでしょう。それは、近代的、特徴的な米作りしか知らないから出てくることです。鍬と鎌があればほとんどの仕事ができるのです。機械化される前の米作りでは、集団作業に頼る部分がほとんどなのです。休耕田が多くなっていますから、借りることのできる圃場を探すのはたやすいでしょう。
 農業に限らず、自分の生活を維持しながら、丸ごと体験から学ぶことに意味があります。行事として組まれた宿泊研修はプログラムをこなすだけになりやすいですが、作ることを目的にしながら、数日間の生活をもこなすことは目新しいのではないかと思います。食事は食堂でできたものを食べるのではなく、自分たちで作る流れです。生活実感と生産を体験させることは、子どもたちの生活があまりにも受動的になりすぎている中で、きっとカルチャ−ショックを与える材料になるでしょう。中学年は無理としても、高学年ならば社会科、家庭科の時間も含めて組めるのではないかと思います。
 このような提案を目にしたとき、先生が発想の転換をしないまま取りかかると、宿泊研修のプログラムを創造することに躍起になってしまいます。従来の宿泊的行事に取り憑かれているわけです。プログラムの中身は子どもたちが制約された中で計画します。先生の一番の役目は、指導者としての支援と安全確保になるでしょう。