総合的な学習と生きる力4
 第3の力は、人間関係調整能力です。生きていく中で人との出会い、かかわりは避けて通れないところです。例えば、総合的な学習を展開するとき、学校の中の人間関係だけで事足りることは少ないでしょう。地域の方々や調査、見学先の方々と出会い、かかわりを持つことは普通に行われてきたと思います。ただ、問題点を指摘するならば、出会う方々との仲介を先生方がどこまで行っているかという点です。本当は子どもたちが関係を築き上げて自分のものにしていかなければならないところを先生方がお膳立てしすぎていないだろうかという心配はあります。人といかようにしてかかわるかは子ども自らが実体験をとおしてつかむことが一番だと考えます。
 調整能力の第一歩は、「人とかかわる」ことです。これはコミュニケーション能力と関係しますが、独りよがりにならず、協調していくことができるならば、入り口は見つかります。必ずしも二つの能力が相関するとは思いませんが、人とかかわる経験が豊富な子どもほど調整能力は優れていると思います。「人とかかわる」ことができると、次は「人とつながる」ことが大切になります。一時的に情報を得たいという目的だけでかかわると、情報が得られたらおしまいになり途切れてしまいやすいのが現状のように思うのです。「人とつながる」ためには、信頼関係や持ちつ持たれつの関係が調整できるかどうかにかかってきます。日常生活の中で多くの場合、何らかの利害がからむことで人はつながっていくことが多くなります。仕事の場合は、直接利益に反映することもあるでしょうから、一筋縄ではいきません。利害の中に単なる損得勘定だけでなく、知的な価値観も含まれるならば、より高次の人間関係調整能力が培われていくと考えます。
 「人とつながる」の次は「人と分かち合う」ことです。双方向のコミュニケーションがとれるような調整能力が発揮されれば、人間関係の中で相手と自分の位置づけがはっきりしてきます。教えたり、教えられたりというような場合でも、常に位置づけが固定することは好ましいことではありません。そうならないようにするために、対等な位置づけをしていくことで、年齢や能力によって固定されるようなことはなくなると思います。
 人間関係を調整していく作業は、総合的な学習の時間だけに限定することなく、あらゆる分野で一生続きます。選り好みしていきながらも、好むと好まざるとにかかわらず、人間関係を調整する場面に出くわすことは普通の出来事です。生まれてから家族以外の人と出会う時点で始まっていると考えてもよいでしょう。となると、学校で扱える能力なのだろうかという疑問を抱く方もおられるかもしれません。
 学校では、これまでの実績として、道徳、特別活動、生徒指導、同和教育、人権教育の分野で形成過程のごく一部を担ってきました。例えば、いじめ、不登校など問題行動として生徒指導の分野で取り扱ってきた事例は、極論すると人間関係を調整していく過程の中でおきた歪みととらえられます。子どもたちはだれしも自分以外の人間と出会うことをとおして、いかによい関係を作るかという願いは常に持っています。それを阻むように足の引っ張り合いをして、人間関係を壊す働きかけをいかに処理するかで頭を悩ましてきたはずです。
 人間関係調整能力は、あらゆる場で人と関係を持つために必要な言葉のかけ方やタイミングを教え、伝えることでも伸ばしていける力です。曖昧にやり過ごしてきた先生は、そんなもの経験的に自分で培っていくべきものだから、深刻に考える必要はないと切り捨てるかもしれません。しかし、言い方を知らないがために不利益を被るようなら、伸びるはずの能力が摘み取られるわけです。一方ではこれまでの道徳教育で扱われてきた価値観が妨げになるかもしれません。協力、協調、寛容、公平、公正、友情など相手との関係の中で理想論を掲げてきた手前もあります。これからは、現実の社会生活の中で必要とされる人間関係をとらえていかないと相変わらず儒教の考え方と個人主義の考え方を間違ったまま引きずっていくような気がします。