総合的な学習と国際理解
 国際理解を進めていく中で日本固有の文化を外国の人に伝えようという取り組みがあると思います。何気なく使っている「日本固有の文化」という表現は適切なのだろうかと疑問に思うのですが、いかがでしょう。
 「日本固有の文化」を言葉どおりに受け止めると、ルーツが日本で他の文化から影響を受けずに独自に作られた文化になります。さて、それはどんな文化なんだろうかと思いめぐらしても意外と対象になるものが思い浮かんできません。平たくいえば日本にもとからあるものということですから、かなり限定されます。様々な渡来文化を風土に合わせて、長い時間かけ醸成したものは数多くあります。固有と思っていたものでも、よく調べてみると類似の文化が他の国々にもあったという場合もでてきます。厳密にいえば「日本固有」という表現よりも日本的、あるいは日本らしいという表現の方が適切な場合が多いのではないかと思います。
 例えば、箸を取り上げるとき、ルーツは中国大陸の文化です。聖徳太子のころ日本に入ったときはピンセット状の箸だったということです。二本に離れたものは現在も中国、韓国で使われています。日本だけの文化とはいえないわけです。ところが、割り箸という考えは日本で作られたそうですから、「割り箸」は元祖日本になります。食器としての道具は、スプーン、フォーク、ナイフの文化圏、箸の文化圏、そして道具を使わない手づかみの文化圏に分かれるはずです。
 言葉については和語=大和言葉と仮名文字が固有の言語になります。しかし、漢字は中国伝来の文字で、読みだけ日本的になったり、もとの音を受け継いだりしています。文字から派生して、書道は元祖中国ですが、仮名文字と混じった書道はやはり日本的な書の文化になりそうです。ただ、俳句は、他に類を見ない固有のものといっていいでしょうが、漢詩の影響を受けているのではないかという疑問も残ります。
 折り紙もしばしば登場する素材です。一枚の紙を折るだけで立体的に造形する手法は他の文化圏にはなさそうです。紙を切ったりつないだりすることはありそうですが、折るだけという発想は固有といえます。ふと、大学のとき一枚のケント紙を折って、一箇所だけ粘着テープでとめたランプシェードづくりを思い出してしまいました。
 以上の例は、ていねいに調べていませんので、確かでない部分もあることをお断りしておきます。

 新聞やテレビ報道の中で日本に住む日本人が日本のことを知らなさすぎるのではないかと主張されることがあります。では、国際理解と銘打って異文化と交流していけば、文化の比較をしながら理解が進むのでしょうか。日常生活の中で合理的に考えて異文化を取り入れた側面もあれば、単にハイカラというだけでまねた部分もあります。中には時間をかけて淘汰され、やっぱりもとからあったものが見直されることもあります。
 例えば戸。学校や住宅の戸は、引き違い戸と開き戸、どちらが合理的で機能的だと思いますか。私は引き違い戸の方に軍配をあげます。使えない空間が少なくてすみ、車椅子に乗っていても開閉が楽にできます。引き戸はもともと日本で考えられたのか、外から入り優れた機能性を生かして日本に定着したのかはよく分かりません。
 国際理解は、単純に外国のことを知る、日本らしい文化を知るということだけではありません。文化は長い歴史の中で交流を続けていますから、値打ちのあるものを見抜く力、生活に取り入れる力を培うことが最終的な目標になるのではと考えています。総合的な学習の時間で国際理解の分野は外国理解、あるいは英会話へと短絡的に限定することは避けた方がいいと思うのです。異文化交流が主であり、それぞれのよさを認めなければ、日本を誇りとする考えは生まれないでしょう。