総合的な学習と理科教育
 かなり以前から理科離れが話題になっていましたが、原因がささやかれるにとどまって大きなうねりは起こっていないのが現状です。
 なぜ理科離れが生じたかという原因は、生活の中で自然現象を体験する機会が減り、かつ授業の中で実証をおろそかにしたことによると私は考えています。自然現象を自分の目で見ることが少なくなったため、様々なメディアをとおして二次的に見たつもりになってしまうことはなかったでしょうか?私自身にも部分的に当てはまりますが、実験の準備が大変だから、あるいは配当時間内に収まらないからと思って、先生の演示実験で終わったり、実験をせずに板書のまとめだけで済ましたことはないでしょうか?子どもたちの中には、太陽や月の出没を見たことがない、光害のある地域に住む子どもが暗闇に輝く星を見て気持ち悪いという、昆虫や魚を捕まえたことがない、野にある実を食べたことがない・・・例を挙げれば数限りなくあります。結果は知っていても、自然現象を観察して感動する経験は乏しいと思います。そんな中で自然科学の入り口から一歩踏み込むこともなく、つまらない理科の学習をした子どもたちに理科が好きですかと問うのはばかげています。
 一方で生活科が創設されたとき、低学年理科がなくなることは、理科教育にとって大きな損失だと叫ばれたことがあります。このたびの総合的な学習の創設に際しても理科の配当時間が削減され、理科教育の存亡に関わると騒がれた時期がありました。時間数の減少が衰退の原因になったり、理科離れの直接の原因になったりすることはありません。あるとすれば、責任転嫁による授業実践への怠慢な考えに過ぎません。
 本来の理科教育に戻すために先生が実証体験だけを重視して授業に望めば解決するというものではありません。半世紀の間に子どもを取り巻く社会環境が大きく変わりましたから、子どもたちに自然体験の機会を与え感動を引き出す作業の方が大切なのです。それを考えないでも実践していけるのはへき地の学校だけでしょう。
 限られた理科の時間だけで実現させることは無理があります。そこで有効に使いたいのが総合的な学習の時間です。関連的な学習、横断的な学習を口にするとき、どちらかというと発展的な扱いに目がいきやすいと思います。そうではなく、導入部分や基礎的な部分を共有して学習を組み立てる方法があることに気づいて欲しいと思います。「不思議だな」「どうしてこうなるのだろう」「おもしろいもの見つけた」・・・このような出会いは理科でも総合でも扱えるところです。学校周辺に自然がないというのは理由になりません。こんなところでも自然の素材は見つかるという先生の目が必要なだけです。
 小学校の4年間の理科の学習だけが理科教育ではないという視点を持っていれば、理科離れは起こりません。図鑑や写真のすばらしさが読みとれるように実証体験を一つでも二つでもくぐれば、理科離れは起こりません。総合的な学習の時間の中に理科教育との連結を取り入れることで、本来の理科のおもしろさにふれることができると考えます。もちろん、同じ状況にある社会科教育でも言えることです。