進まない負の要因2
 総合的な学習における指導力あるいは先生自身の学ぶ力を問うとき、情報機器に対する意識を探ることで実状を判断することができます。
 文書を作成するとき、日本語ワープロ専用機が健在という現実はないでしょうか。とっくに製造販売は打ち切られています。乗り換えることができないまま、もったいない、これまでのデータを生かしたい、パソコンはよく分からないという思いで使い続けられています。道具の持つ意味を認識していれば、ワープロ専用機、パソコンともにパーソナルコンピュータであり、手段でしかないと割り切れます。釘を打ち込むのには金槌が必要ですが、必ずしも金槌でなくともいいのです。石ころや釘抜き、ペンチでさえもくぎを打つことは可能です。車の運転でも同じことがいえます。自分の愛用の車なら運転には慣れているでしょう。しかし、普通免許で可能なトラックやトラクター、原付バイクになるとどうでしょう。しり込みする方と試してみようとする方に分かれます。
 一つの道具の使い方に慣れてしまうと同じ種類の他の道具に手を出さないでいるとらくはできます。しかし、負の方向で考えると「融通が利かない。」ということになります。体験や多様性を重視するとき、この考え方はブレーキになってしまいます。正の方向で考えると「工夫する」「挑戦する」という行動になって現れます。先生が子どもたちに要求する能力、価値観と一致するわけです。
 ところが、簡単にことが運ばないのは、頭で理解していても先立つ思いは「難しい」「分からない」「覚えられそうにない」になります。総合的な学習を仕組んでいく過程で子どもたちがこんな思いにぶつかったら前に進みませんから、先生は興味を持たせたり、励ましたりして導いていると思うのです。自力で突き進む子どもたちは、「難しい」「分からない」を自らの課題にしてしまいます。解き明かすのがおもしろいだろうなという見通しがあるから可能なわけです。
 カット集、糊、はさみ、フイルムカメラを使いこなせばこと足りる先生にとっては、情報機器は使い方が難しい道具という印象を持っていないでしょうか。情報機器の持っているよさ、便利さを学んだうえで、伝統的な道具に軍配をあげて、こだわるのならば説得力があります。機械が打ち出す文字より手書きの方が心がこもると固執するような場合です。しかし、食わず嫌いに似た使わず嫌いでは話になりません。例えば、携帯電話はパソコンそのものですが、テンキーだけで文字入力する煩わしさはどこかにいってしまい、いつでもどこでも通信できるメリットにはまってしまっています。圧倒的によさが広まったことでわれもわれもになったのです。ところが電波の届かない谷間に勤務しているわたしはその恩恵にあずかれず、いまだに所持していません。いつでもどこでもは当てはまりませんから、必要ないわけです。
 デジカメ、デジタルビデオ、プレゼンテーション、インターネット、電子メールなどを扱う情報機器が使いこなせることで、総合的な学習に生かせることはたくさんあります。何よりも子どもたちが使えることが一番ですから、先生が使い慣れているという条件は避けて通れません。車は燃料だけ入れて乗り回し、保守は整備工場で可能ですが、情報機器は自分である程度の保守もできるように学ぶことで力強い味方になります。総合的な学習も情報機器もしり込みすることのないように挑戦してほしいと願っています。
 売り手側の宣伝文句だけで判断することなく、包括的に何ができる機械なのかという理解をしておれば、乗り換えることに抵抗は少ないと思うのです。