総合的な学習は誰のもの
 ホームページにも実践報告の紹介が増えてきました。文部省も実践事例集を研究校から寄せ集めて出版しました。何が参考になるのかじっくり考えておきたいと思います。私がふるい分ける方法としているのは、誰に向けて報告している著作物なのかを判断することです。もう一つは価値があるかどうかです。
 先生が先生に向けて発信しているもの。先生が子どもに向けて発信しているもの。子どもが子どもに向けて発信しているもの。子どもが不特定多数に向けて発信しているもの。読むのに一番苦労させられるのが、先生から先生へのものだと思っています。

 総合的な学習は、先生のものではなく、子ども自身に保障された枠組みにしてほしいと私は願っています。つまり、先生が先生のために報告あるいは紹介するのはあまり意味がないんじゃないかと思ってしまうのです。
 こんな素材を投げかけたら、こんな疑問を子どもたちが持った。子どもたちはこんな解決方法を採用して、こんな結果を出した。違う意見の人がいたらなんか言ってよ。・・・子どもたちの思考活動の過程を記録することが、最も役に立ちそうです。
 かくいう私は、単に入り口の部分、投げかけ材料をばらまいているにすぎません。どんなことに気づき、どんなことを追求するかは子どもたちに任せるところですから、先生がしゃしゃり出て、こうしたらどうかな。こんな方法もあるよ。と先導するのはお節介のような気がするのです。素材をいかに料理しておいしいものを作るか、という解説の手引きは与えない方がいいと思います。
 これまで、頼ってきた手引き、教科書、赤本、実践事例から脱出して学ぶことの過程を報告し合って、子ども自身が手がかりとしていけたらいいなと考えます。

 学んだプロセスが価値あるものかどうかは、内容の優劣や程度を問題にしなくとも、唯一自分だけのオリジナルなものであればいいでしょう。苦労してたどり着いてもすでに解決済みならば、一歩先に進めないといけませんし、類似のものがなければすばらしい成果だと思うのです。そこのところを検討できるデータベースが現れてくると、子どもの発想は逐一確かめられるわけです。知的好奇心をかきたてて、先人のおさらいをしながら、新しいものを発見することがすばらしいわけです。
 計画や支援の方法、学習テーマなどは実践報告になくてもよいことだと思っている私です。