総合的な学習と学習形態
 多くの先生方は教室に留まって授業をしていることが圧倒的に多いと思います。グループ学習になったとしても、便宜上先生の都合でそうなっているのではないでしょうか。素材を投げかけ、問題解決から子どもたちが課題をつかみ、自力解決をしていく学習では、学習の場面として学習形態を設定した方が組み立てやすいと考えられます。
 通常、学級の子ども全員に指示を与えたり、個々の考え、していることを情報交換したりするときは、先生対子ども集団という「一斉指導」の形態になります。全員に伝えたい、より多くの意見が聞きたいというときに使っています。多くの場面で使われ、時には先生の一方的な解説で終始する授業さえあるでしょう。
 逆に子どもが自分だけで問題解決を行ったり、調査したり、考えをまとめたりしていくときには、周囲の動きを関知しなくてもよいのですから「個別化」という形態になります。ところが、何をしていいか分からない子ども、思いつかない子どもは、他にすることがないから人の動きに気をとられたり、ぼんやりしていたりします。個別に学習が成立している子どもは先生の関わりを必要としませんが、学習していない子どもには、必ず先生が関わって、何をするのか、何をしたいのか導き出さなければなりません。
 次にグループになる場合は、学習内容と子ども同士の必然性がかみ合わないと共同での学習は成立しないでしょう。例えば、調査内容が同じような子どもは、一人では膨大な時間がかかるけど、共同でやったら能率的に調べられると見通せたとき、「グループ学習」がおおいに役立つわけです。

 あえて学習形態を先生が意識しないで総合的な学習を進めようとするとき、時間配当が融通のきかないものになるのではないかと心配します。45分、50分を1こまとして、先生が先生自身を縛って授業を描いてないでしょうか。学習形態の一区切りに対して時間を配当していけば、かなり柔軟な対応ができるでしょう。ただし、年間を通しての時間配当の管理は指導する先生にゆだねられることは避けられません。
 もう一つの問題点として、一つのテーマを一斉に全員に投げかけ、全員が同じ活動をして、出てきた問題点や成果を一斉の場でまとめてしまうと、そこで学習は終息してしまうおそれがあります。体験的活動などを通して、その中から新たに解決していく課題を個人個人がつかまえて、学習を発展させなければ、多様で幅の広い学びは望めません。パターン化してはいけないのですが、「一斉指導」のあとには必ず「個別化」を図った学習の場が欠かせないと考えられます。
 教師集団の中でしっかり論議しておかないと、先生の対応のまずさが、子どもの活動のブレーキになる関わりが出てきます。子ども自身に任せないといけないところに、先生の意図が強く出てしまうと子どもがやる気をなくすような場合です。過剰に先生が助言してしまうと、「学ぶ」場がなくなると言い換えてもいいでしょう。