基本を学ぶこと
 「基礎基本が大事です」と言われ続けてうやむやになっていることも多いと思います。10数年前と比べて、格段に反復練習の量が減っています。中学校だけでなく、小学校でも、テストの問題文がまともに読めて、理解できる子が減ってきています。計算能力も落ちているのを実感できます。
 一体、どんな原因でこんな実体になってしまったのでしょうか。関心意欲を全面に出して、知識理解を後回しにしたからでしょうか。自力解決に多くの時間をとられて、習熟・反復練習がおろそかになったからでしょうか。子どもたちが活字文化に親しまず、映像文化につかりすぎているからでしょうか。私は別の角度に原因を考えています。目先の変化に追われすぎたのです。子どものご機嫌をとるようなことをしないで、徹底的に鍛えなければならない学習内容を見逃してしまったのです。
 漢字の読み書きができる。書いたり話したりして自己表現ができる。文章を読んで、言葉の意味が理解できる。語彙力が豊富である。四則演算が暗算や筆算でできる。いまさら「読み」「書き」「そろばん」を重視するように言われること自体が、学校の原点を指導者が見失っていると見透かされているようで仕方ありません。
 計算に苦労している子どもが増えているのは、明らかに抽象化して物事をとらえる能力が落ちているのです。計算が正しくできるかどうかというレベルの問題ではなく、計算ができるということは、論理的に抽象化された記号を約束に従って操作できる能力なのです。
 教科の内容が減らされても、教科の専門性を強調する指導内容に固執すると本末転倒となります。例えば、歴史学習で資料をたくさん用意して、詳しく学ばせようとも、言葉を理解する土台がなければ学習は成立しないと思います。自分は一生懸命用意して教えたのに、それを理解できない子どもは「ばか」なんだと感じるようなら、先生は「教えた」ことに自己満足しているにすぎません。なぜ理解できないのかを学習することが先生の仕事だと思うのです。
 徹底的に子どもたちを鍛える実践は数多くあります。百人一首。漢字の空書き。百点を取るまで許さない漢字テスト。ステップバイステップの計算ドリル。毎日書く生活日記。などなど。一年間でこれだけの力がついたと実感させられる継続実践は絶対手抜きしてはいけないと言い切れます。

 ということで、総合的な学習を展開していくには、教科の学習の基本的な部分に負うところが大きいわけです。論理的な思考、言葉を駆使するためには、決して国語と算数だけをきっちりやればいいという程度の問題ではないでしょう。基本を学ぶことこそ総合的な学習の「学び」の原点なんだなと気づく先生は立派だと思います。