1年間が見える先生
 総合的な学習だから必要になった要件ではありません。これまでに主張してきたことが、ますます重要になってきたと思うのです。最低1年間を見通していないと、総合的な学習の内容を組み立てていく背骨がないまま、風船のような状態になると心配します。
 年間を通しての経験がまだない先生に求めるのは酷なことですが、2年、3年と経験してきた先生には是非模索して欲しいことです。経験年数が多いほど見通しのバリエーションが多くなれば申し分ないでしょう。

 「活気のない子どもが多そうだから、1年かけて元気いっぱいの子どもにしよう。」とか「自分勝手な子どもが多そうなので、1年かけて思いやりのある子どもにしよう。」とかいうのはだめです。具体的な手だてが伴わないお題目では役に立ちません。ましてや、感覚的な手応えのない見通しは、自分の仕事の評価にさえならないでしょう。

 思いつきの例を出します。「手作り」に1年間こだわって、徹底的に「手作り」の場面を取り入れていこう。そのことを通して、苦労とか、喜びとか、助け合うこととか、自信とかを体験できれば、「手作り」の価値が分かるはずだ。では、どんな手作り体験を展開していこうかと、学年の内容に照らして組み立てればいいと思うのです。粘土を作って縄文土器を再現し、野焼きに挑戦してみよう。野焼きをするためには火起こしもやってみよう。理科で使ったジャガイモを料理するのに石器を作るところからやってみよう。時間の制約を気にしながらとことんおもしろく展開できそうだと思います。
 総合的な学習では、教科や領域に関連させて考える必要性が薄れますから、関連学習を組み立てるよりはずっと楽だと思います。

 なぜ、1年間なのでしょうか。小学校の場合、一つの集団にとことんかかわれる期間は1年間が限度です。持ち上がり、クラス替えなど個々の事情はあっても、大半は1年で別の集団にかかわるはずです。数年もすれば別の学校に転勤してしまう現実からは逃れられません。

 以上の話は、学級経営のあり方と切り離せないことはおわかりいただけると思います。この学級経営が1年間を見通してはっきり見えていれば、学校経営ともかみ合ってくるはずです。
経営を批判しあって、よりよいものにしていくために、給料をもらって指導しているプロフェッショナルであることを忘れてはいけないと思います。