総合的な学習の成立
 総合的な学習が学習として成立しているかどうかは、指導要領に照らして判断するようなことではないでしょう。学習が成立しているかどうかまで、指導者が責任を持つことになります。
 活動を意欲的にしたから、すばらしい体験をしているからというだけでは学習が成立したとはいえません。活動を通して、体験を通して、何を子どもたちが学習したかなのです。それでも、様々な考え方が飛び交うことと思います。今までしていたことを寄せ集めれば十分消化できると主張する人もいるでしょう。教科書がないとできるわけないと主張する人もいるでしょう。生活科の二の舞になることは避けたいと個人的に思っています。
 何よりも学び方が大切ですと申し上げました。時間より、内容より、計画より先に考えないといけない理由はここにもあります。

 これまで、教科書と指導案を広げて、数多くの授業研究会が全国で実施され、研究発表会という名の下に公開もされてきました。教科書がないだけじゃないか。単純に考えたらそういうことです。教科書や赤本がないと普段の授業ができない先生もかなりいますから、総合的な学習になるかどうかは、大変なことでしょう。

 総合的な学習を進める前段として、どんな子どもに育てたいかを主張する人もいます。学ばせる目標を先生側から考えるきっかけとしてはおもしろいことです。しかし、大局的な考えは、学習が成立しているかどうかをおろそかにする心配があります。

 たとえば、大豆から子どもが何を学ぶか組み立てられればいいと思うのです。教科書みたいにこれだけですよというくくりがないだけです。
豆腐を作ってみて、何で豆腐が固まるのか分かった。豆腐は大豆からできている動かぬ証拠をつかんだ。豆乳をとった後のおからが食べられることが分かった。豆腐料理を作ってみたい。大豆を原料にしたものはどんなものがあるんだろう。先生がレールをしかなくとも、学習内容が噴出するだけで学習は成り立っていると実感できるのではないでし
ょうか。