先生自身が学んでいますか
 総合的な学習を子どもが進めるとしたら、自ら学ぶモデルを先生が持っていないと話になりません。実験の方法や配慮することを知らない先生が実験を教えたらとんでもないことになるのと同じことです。
 逆上がりができない先生が逆上がりを教える場合も似ています。逆上がりがもしできなくとも、なぜできないかを身をもって研究し、指導の要点がどこにあるかを理解した先生なら、できなくとも教えられるわけです。
 一つのテーマについて分からないことを見つけだし、調べる方法を学習し、実践する。そして、その過程で新たに分からないことを見いだしてどんどん追求するならば、研究は深まるわけです。苦労して自分が調べ上げ、考え抜いた事柄は、人に教えたくなるものです。人に教えるとまた違った視点で疑問点が指摘され、また調べなくてはならなくなります。

 こうした自ら学ぶ姿勢を実践していたら、子どもにどう学んで欲しいかという要求は説得できるでしょう。学ばないで、まねをする先生は、表面的には実践していると見えますが、内実は先生自身が追求したい課題を見極めていないのです。
 もう一つ大切なことは、テーマパークのページで情報を紹介していますが、一つのキーワードから連想ゲームのように関連することが組み立てられるかどうかです。先生も子どももこのことは考える練習として、価値あるものとして身につけたい素質です。レールを引いた学習ではこんなことは時間もかかり、指導内容からも逸脱するので、できなかったことです。
 結論として
1 学ぶ仕組みを実践的に理解させる。
2 学び方を実践的に理解させる。
 この二つを最初は訓練することから始まるでしょう。そのためには、先生が学んでいないとできないのです。本を買わない、本を読まない先生は学ぶことは少ないでしょう。向山洋一もかつて同じことを批判していました。
 1999.12.6奈良の小学校で起きた水酸化ナトリウムの錠剤が人間の口の中に入るという出来事はまさに教師が学んでいないということを端的に表していると私は勝手に解釈してしまいました。劇物、毒物の取り扱い法令さえも学んでいない先生は、毒物、劇物にはさわってはいけないでしょう。