適応力
 自然への適応。大人になってからでは遅い部分があります。例えば薄着に慣れるためには、小さい頃から鍛えることで可能になることです。風邪を引いては大変だからという親心だけで、皮膚の体感温度を下げてしまうことになります。また、冷房のおかげで暑さに対する感覚も確実に変わってきた部分です。ちまたでは、快適な学校環境にして、暑い時期に能率よく勉強できるよう冷房設備の拡充を促しています。本当に必要なことかどうか、生活様式の変化がもたらした温度に対する適応能力の低さを問題にしたいところです。我が子を見ていて、子どもが我慢できる体感温度の範囲は大人以上に広いと感じます。鍛えることで適応能力は広がる部分だと思います。
 食への適応。人為的に作り出した薬剤や遺伝子組み換え食物に対する不安はぬぐい切れません。長期的な人体実験だと考えたいところです。因果関係は解明されていませんが、アトピー反応、アレルギー反応が起こる子どもたちは確実に増えています。元になる食べ物を食べないですむならそれにこしたことはありません。しかし、多様な食材に対応しきれないのが現実です。抗体を作るべく適応できれば簡単なのですが、避けるしか方法がありません。
 社会への適応。これは積み上げた経験がものを言う世界ですから、積極的な働きかけと経験の機会を見逃さないようにしていかなければなりません。自分の都合を優先させた生き方をしていると、子どもによい影響を与えることはありません。柔軟な人付き合い、幅広い人付き合いを親自身が実行していないと子どもにしっぺ返しがくることは十分に考えられます。誰とでも仲良くなれるということは簡単なようで、実現しにくいことです。特に障害をもたされている子どもにとっては乗り越えるものが増えます。社会参加できにくくしている現実に飲み込まれないことです。
 集団への適応。幼児期の一人遊びは、私の幼児期と比べたら格段に増えています。いさかいを避けるなら、一人遊びの方が気楽ですが、集団でしか培えない社会性は育ちません。同年齢、異年齢と1対1ではない複数の関わりを多く経験してきた子どもたちは、集団への適応力が高いといえます。進学に伴い新しい集団にうまくなじめるだろうかと親が心配しなくてすむように、親自身が見知らぬ集団ともコンタクトをとる機会は増やしたいところです。
 木登りは危ないから、したことがない。どろんこ遊びは不潔だから、したことがない。店で売られているものしか食べられないと思っているから、野生のものは食べたことがない。歩くのは危険だから、どこに行くのも車で行く。手を切ったら困るから、包丁は使わせない。世の中の危険因子を先回りして経験させないように封じ込めると、子どもの適応力は育ちません。