禁じ手
 子育てをしているときに何気なく子どもに言っている言葉で、「これはまずい。」というのがいくつかあります。子どものためを思って使ったという言い訳ではすまないような場合です。

「おとなしくしてなさいって言ったでしょ。こっち見ている人に叱られるわよ。」
「約束守らないと、お巡りさんに叱られるんだから。」
「言うこときけないんなら、先生に叱ってもらうからね。」

これらは、親が叱っても効き目がなくなった段階でよく登場してしまいます。本来なら親子の関係の中で社会性を身につけさせるために叱り、躾けるのに必要なことです。見ている人、お巡りさん、先生が叱るからやめなさいと、他人を担ぎ出して分の悪い役回りを押しつけています。
 子どもにとっては、他人から叱られるまでは許されていると勘違いしても不思議ではありません。注意を受けて初めて、言われたことが証明されます。ところが当の叱り役にさせられほうは「お母さんしっかりしなさいよ。」と言いたいわけですから、双方の都合は完全に食い違っているのです。躾けたいこと、社会性は親が責任を持って諭していかないといけないことになります。

「悪いことしてたら、あの人みたいになるのよ。」

 これは、「あの人はどうして車椅子に乗っているの?」「あの人はどうして白い杖を持っているの?」「あの人はどうして口がゆがんでいるの?」などの質問に答える場合にでてくる言葉です。子どもに難しいこと説明したって分かるわけない、かかわらないほうがいいと思うことで悪人に仕立て上げてしまうのです。
 なんの関わりもない通りすがりの人が悪人になるわけですから、聞こえたときの当事者の心中は辛いです。子どもも偏見を植えつけられて辛いです。子どもに分かる、分からないと思う以前に自分なりの正しい説明ができるように勉強してほしいです。

「なんべん言ったら分かるの。しつこい子ねぇ。」
「あんたのためを思って言ってるのよ。」

 とどめをさしたいときにでてくるせりふですが、これではとどめがさせません。「あと1000回!」「思ってくれなくてもいい!」と逆にとどめをさされるおそれがあります。親の都合と子どもの都合がずれていますから、ののしり合いになりかねないです。どうしてやめないかを聞く姿勢があればずいぶんと変わるでしょう。

「好きこのんであんたを産んだわけじゃないのよ。」
「あんたなんか産まなければよかった。」

 ここまでくると我が子を見捨てていますから、憎悪が漂っています。「こんなうちに生まれなければよかった。」「家出してやる。」なんてことになると憎しみはもう本物です。産む、産まないは子ども自身関知しないことです。たとえ脅しに使ったとしても、愛情のかけらさえない言葉はむごいです。

「うちの家系はみんな頭がいいのに、あんたは何で出来が悪いんだろうね。」
「○○ちゃんはすごいわね。それに引き替えあんたは」

 人と比較されてほめられたり、けなされたりすると自分だけを評価してないんだと気づきます。「どうせわたしは・・・。」と自信をうち砕くには手軽な方法ですが、砕いた自信を積み上げるには大変な努力がいるでしょう。

「やられたら、やり返しておいで。」

 争いごとの決まり文句です。何千年も昔から無限ループが続いています。報復の奨励は報復の応酬が待っていることでしょう。連鎖を断ち切ることができるのも、人間のなせる技で、断ち切ることができないのも、人間の愚かさです。

 以上のような気になる言葉は、残念ながら、禁句として言わなければよいでは片づきません。生活の中でしみついた考え方、価値観ですから、頑固な染み抜きを自らしていく努力が必要です。