母性と父性
 子育ての中で父親の存在感が薄くなったといわれて久しいですが、ほんとうに必要なのは父親の存在感ではなく、父性なのです。母性はいろいろな場で語られて耳にすることが多いと思います。父性の役割についてはいかがでしょうか。私も家庭教育の講演を聴く機会がありますが、意外と話題にのぼってきません。
 父親や母親の存在感を話題にしても、通用しない家族があるということを一番に気にしてほしいと思うのです。何らかの理由で、父親がいない、母親がいない、どちらもいないという子どもたちの存在です。両親そろっていないといい子に育たないという、事実に反する考えを与えてはいけないのです。両親そろっていても、いないほうがいい子に育つのではないかという家族もありますし、両親がいなくてもいい子に育っている家族はいくらでもあります。一握りの非行に走る子、生活力のない子と両親の不在を原因として結びつけるのははやまっているでしょう。
 母性と父性は性差の中で培われた分業意識から出発します。不思議なことに、一人の母親、父親であっても両方の資質を備えた人も数多くいますし、やむを得ない事情によってシングルになったことで、両方そなえる人もいます。
 母性が養育を主に受け持つとすれば、父性は養育がしやすいように条件整備をする部分を受け持ちます。ストレスがたまって、ヒステリックになる母親を「あせっちゃいけないよ。」とサポートするのは父性の力です。甘やかしすぎる母親にかわって、厳しく行儀をするのも父性の力です。相反する価値観に出会わせて、子ども自身が葛藤していくことで自分はどうすべきかを判断していく過程をくぐり、人格が形作られていると考えます。
 両親ともに甘やかしすぎる、寛容すぎる、厳しすぎる、細かすぎるという極端に片面だけがそろっていると、どこまでが許されるのかという判断材料は伝わっていません。結果的には家族以外の刺激がないと押さえつけられたままか、野放しのままになってしまいます。つまり、母性か父性のどちらかしか経験していない子どもは社会性が育ちにくいのです。
 まれに、反面教師的に受け止めることのできる子どもたちは、心配なく社会性を育んでいきます。これは家族以外の人と人間関係を持つ中で両親のいうことがすべてではないのだという認識をしていく過程で可能になります。
 相互に対立する価値観をプラス方向にとらえていくことで子どもたちは自信を持つものです。のんびり屋さんを「ぐず」「のろま」とののしるか、「慎重だね」と諭すかで、自分を理解するのに選んだり、迷ったりする余地があることが大切なのです。