子どもを操縦しない
 子どものためにと思ってやっていることが子どものためになっていないことはよく指摘されることです。言っている当人がそう思いこんでいるというだけでは糸口が見えないでしょうから、少し解きほぐしてみたいと思います。
 親子関係が対等ならば、してはいけないことが一つだけあります。それは、子ども自身が自分で決めなくてはならないことを親が勝手に決めてしまうことです。何事も助言は自由にできますが、最終的に意志決定するのは自分自身だということです。親がとやかく言っても肝心なことは子ども自身が決断しているようなら、災いは起こりにくいと考えます。
 振り返ってみてください。ほしいものを買いたいとき。誰と遊ぶかというとき。いつ勉強するかというとき。おやつの好みをいうとき。どこの学校に行くか決めるとき。就職するとき。結婚するとき。・・・。反対されながらも、最終的にはあなた自身が意志決定したのではありませんか。人の言うとおりにしていて意に反したとき、相手に責任をとれといっても通用しないことを学んできたと思います。
 しかし、中には親の言うとおりにしてきたという人もいるでしょう。親子の判断が一致しているだけのことで、それはそれでいいのです。自分の意に反した指図があって、服従したのか、自分の決定を押しとおしたかということが大事なのです。
 意に反して従うということは、操縦されていたことになります。操縦を知らず知らずのうちに積み重ねていると、つまずいたとき、行き詰まったときに何かが起こりそうです。こんなことになったのは自分が悪いからじゃないと反論されることもあるでしょう。反発できないまま爆弾を抱えさせていたら、突然ぶっちぎれることもあるでしょう。「ふつうのよい子」がまさかという行動を起こすきっかけがこんなところにもあるのじゃないかなと思うのです。
 念のために申し添えますが、子どもの言いなりになるとか、ご機嫌をとるとか、好きなようにさせるとか、勝手しほうだいをおすすめしているのではありません。意志を持っている人間を相手にしていることを忘れないでほしいのです。たとえて言うなら、「ペットを育てているのではないですよ。」「我が子はペットと違いますよ。」ってことになります。