ハングリー精神
 「足りないぐらいがちょうどいい」のですが、物が豊かになって、不自由を感じない時代になっています。苦労しないで、お金さえあれば何でも手に入り、がまんすることが少なくなったのではないでしょうか。けちけちすれば、できないことはないのですが、少数派として世間体を考えてしまう面もあると思います。 「おいしいから、もう少し食べたい。」「気に入ったのでほしい。」など、願いがすぐ実現してしまいますから、手に入れるために一生懸命考えることはなくなったわけです。
 手にはいることを当たり前のこととして実行することが問題なのです。ものがたくさんあふれているから、大切にしたい考え方やしつけができなくなったのではありません。そこのところをはき違えないで、親の考えに自信を持ってほしいと思います。決して、あふれているもののせいにしてはいけません。責任転嫁は親の気休めにしかならず、子どもにとっては害悪にしかならないのです。そして、子どもが好きな食べ物をぱくついているとき、これでおしまいにするよと言っておきながら、しつこくねだる子どもの要求に負けて与えるのは最悪な行いです。やる以上は、信念とまではいかなくとも、確信ぐらいは持ってほしいのです。
 些細なことなのですが、「がまん」をして「どのようにして手に入れるか」を思案する力は、生きていくうえで欠かせません。ものに対する価値観が変わっていくのです。炊飯器がないとご飯が炊けない、マッチがないと火をつけられないなど笑い話になること間違いありません。要は、物がないときにその力は一番よく発揮されます。また、「○○ができるようにしたい」というときにも役に立ってきます。
 たとえば、「姿勢をよくする。」「履き物をそろえる。」「自分の力で起きる。」などは、いっけん「がまん」とは関係がないように思えます。ところが、「できるようになりたい。」自分と「めんどうくさい。できなくても困らない。」自分とがまんくらべをすることで、身に付いていきます。単に約束事を身につけるのではなく、合理的に考えるようになります。
  一方では、「行儀よくしていないといけない」「お利口にしていないといけない」という状態の中で極度に「がまん」している子どもが増えたという実態もあります。苦労しなくてよくなっただけに、子どもたちが一見従順になってしまう現象です。「がまん」をうらがえすと「反発」「反抗」になります。素直に従いすぎると「なんかおかしいぞ」と言うときに反発できなくなる事態も起きます。
 ということで、ハングリー精神を養うメリットは大きいと思います。ただし、一方的に押しつけることなく、だましたり、だまされたりしていくさじ加減が人間模様として必要でしょう。