違いを認める子育て
 みんなと同じなら安心できるでしょうか。「みんなと同じ」=「平等」ということではありません。平等であってほしいのは権利や義務の範囲で大切にしたいことです。一方で、「みんなちがっていい」という考え方があります。個人の性格や性質が違うことは当たり前です。一人ひとりの姿かたち、感じ方、考え方はそれぞれちがいます。
 ところが、みんなと同じように勉強についていってるだろうか、みんなとちがうところがあったらいじめられないだろうか、みんなとちがうものを持っていたらいちゃもんつけられないだろうかとつい心配してしまうようなことはないでしょうか。こうした心配をする方はひっくり返せば、ちがうものが認められなかったり、いじめられたりしても仕方がないという考えをばらまいていることになります。
 入学を前にして男の子が赤いランドセルをすっかり気に入ってしまい、心配したお母さんが強引に子どもを説得したというような話が新聞に載っていたこともあります。男の子=黒。女の子の赤=いじめ、という先入観と世間体がじゃまをしたわけです。私の経験にも同じことがあって、みんな赤黒なのに私だけ茶色だったのです。もちろん困ることは何も起きませんでした。
 日本人を説得しようと思えば、「みなさんそうされていますよ。」という言葉をかければいいという話が報道されたことがあります。よそはよそ、うちはうち、同じにする理由はないと突っぱねること疎外感を感じてしまうところがあるでしょう。横並びで判断することにより安心する一方で、一人ひとりの個性を大事にしようとしています。違いを当たり前のこととして認められるようになれば、くらしやすい世の中になるでしょう。
 ただし、自分勝手な自己中心的な判断は周囲に対してわがままな親子に映ってしまうことを忘れてはなりません。