しつけと生活様式
 家庭から一歩出て、子どもが社会生活をするようになると家庭教育の結果が少しずつあらわれてきます。子どもが幼稚園や小学校に行きだしたら、家庭での教育が終わるわけではありません。できないことや知らない常識を教えていくことは当分続きます。何年生までというような基準は残念ながらありません。
 教えたつもりはないのに教わっていることもあります。家族の行いをまねして身につけたことがそうです。逆に、教えたつもりなのに身に付いていないこともあるでしょう。しつけは子どもにだけ教えることではないと思った方が無難です。自分では正しいと思っていた自分の常識が、実は世間では非常識なことであったという発見をするぐらいの謙虚さがいります。つまり、子どもに教えるとともに親も学ばなければならないのがしつけです。
 ものを食べながらしゃべらないように。音をたててものを食べないように。時間や約束は守って行動するように。人にあったらあいさつをするように。ぬいだ履き物はそろえるように。自分勝手に人の話に割り込まないように。人の話は黙って聞くように。最後まで聞いてから、自分の言いたいことを言うように。これらは、礼儀とかマナーの問題ではなく、合理的なルールと私はとらえます。結果的に小気味のよい洗練された生活様式を身につけていることになります。
 ささいなことの積み重ねで、社会生活の常識を身につけさせていけば、責任感や忍耐力を備えた人間が育つはずです。一方では、しつけなんてなんの役に立つと否定的な考えを持って、我が道を謳歌する方もおられると思います。人と人が交わる以上避けて通れないと私は思っています。個人主義の考え方と自己中心的な考え方を正しく理解していないことによる屁理屈でしょう。
 先日、出張したとき、通学途上の電車に乗りあわせて、高校生のみなさんの朝から疲れ切った態度の悪さに呆気にとられてしまいました。さながら、ある家の洗面所とリビングにおじゃましているような感じでした。また、ある日の通勤途上では、無造作に投げ捨てられたコンビニの弁当がらや紙おむつにがっくりさせられています。