子育て真っ最中の方へ
 3歳までが勝負といっておきながら、3歳までをクリヤーできなかったらどうするかを語らずにいては無責任になるので、その後を展開します。
 何よりも、3歳までの子育てでどんなことに失敗したか、子どもを鏡にして自分の学びに何が足らなかったかを知ることだと思います。子どもの足りない部分に他人様からケチをつけられ、親もそれに追随してケチをつけるからろくなことにならないのです。家庭教育の話を聞いても、ましてやこんな拙文を読んでもほとんど役に立たないと私は思っています。

 おっしゃることはごもっとも、それが最善なのだと言葉だけは理解できるのですが、じゃあやってご覧ということになると簡単ではありません。自分を振り返って、自分のまずいところを変えるわけですから、相当しんどいものがあるのです。「分かっちゃいるけど、できません。」なんてことはない、子どもも大人も同じ状況なんです。
 これでは、あきらめなさいといっているようなものですから、まじめに考えた方法に移ります。

 意識を変える、新たな認識を重ねる、つまりは自分と気楽に格闘すればいいのです。差別意識を認知して、合理的な考えに変えるのと似通っています。世間とか、家族とか、知人とかの呪縛から解放されなければならないのです。教育相談や心理学が人間の奥深い考え方を解き明かしてくれると誤解しているような人には、あきらめしかないでしょう。固まった人格を自分で改造するのですから、苦労します。
 勉強ができる子は将来が楽しみだ。それに引き替え、遊びに夢中になってちっとも成績が伸びない子は叱咤激励の連発になってしまいます。このことは、「勉強ができる子は将来が楽しみだ。」という世間一般の呪縛に完全にはまっています。なぜこの子は勉強しないのだろうかと振り返るのです。「親も勉強しなかったからな、親に似たんだ。」これも、世間の呪縛にはまったとらえ方なんです。
 「何に興味があるのか。」「とことんやっていることはないか」など伸びる芽を見つけて、ほめることです。しょうもないとか、自慢の種にもならないとか言って、勝手な価値観で切り捨ててはいけない部分だと思います。

 どうしても話が難しくなって、分かりにくい話になりました。「歯磨き」の習慣という自分の体験を語って締めくくります。食事の後に歯磨きをするという習慣は、実に30年もかかってやっと自分のものになりました。むし歯の痛さ、治療の煩わしさなどいろんなことが引き金になって、快適に生活するためには「歯磨き」をするしかないという納得にいたったわけです。誰から諭されたのでもない、知識は授かってもさぼってきて、ついに痛い目に何度かあって性根が入ったという事実です。
 人格が固まった後の子育ては、一人の人間として向き合い、よりよいものを求める共同作業みたいなもんでしょう。